翌日から、本格的な剣術の鍛錬が開始された。
基本的には素振りや型を中心に。
庭に作成された木人相手に、型や打ち込みの具合を見たり、父親相手に打ち合いをして足運びや体重移動の訓練をしたり、といった具合だ。
基礎的な感じで、実にいい。
この世界において、剣術はかなり重要視されている。
本に出てくる英雄たちも、ほとんどが剣で武装している。たまに斧や槌を持っている者はいるものの少数派だ。
槍を持っている奴はいないが、これは例の嫌われ者のスペルド族が三叉の槍を使っていたからだ。槍は悪魔の武器。そういう常識があるのだ。一応、本にもそんな悪魔が何匹か登場した。敵も味方も食い殺す、無差別殺人鬼みたいな役割でだ。
そういう背景もあるからか、こちらの剣術は元いた世界より優れている。
達人になると、岩を一刀両断したり、剣閃を飛ばして遠くの相手を攻撃できたりする。
現にパウロも、岩ぐらいなら両断できる。
原理が知りたかったので、褒めて讃えておだてたら何度も実演してくれた。幼くして上級魔術をも操れる息子が喜んで手を叩くのだから、パウロもさぞ気分がよかっただろう。
まあ、何度見ても原理がよくわからなかったが。
見てもわからなかったので、説明を要求してみたのだが……。
「クっと踏み込んでザンッ!! って感じだ」
「こうですか!?」
「馬鹿! それじゃぐぅっと踏み込んでドンだろうが!! クッと踏み込んでザンだよ! もっと軽やかにだ!」
こんな感じだった。
これは推測だが、この世界の剣術というのは魔力が絡んでいる。
魔術が見た目どおりに魔法っぽく発現するのと違い、剣術の方は肉体強化や、剣などの金属の強化といった方面に特化している。そうでなければ、超高速で動きまわり岩を両断するなど、できるものか。
もっともパウロに魔力を使っている意識はない。
ゆえに、説明もできない。
しかし、再現できるようになれば、身体強化ブーストの魔術が使えるようになるようなものだ。
頑張ろう。
★ ★ ★
この世界では、主流となる流派が三つある。
──一つは剣神流。
攻撃こそが最大の防御と言わんばかりの攻撃的な剣術で、とにかく相手に先に剣を当てるのを目的としたような速度重視の流派。
先の先を取って一撃必殺。
倒しきれなければヒットアンドアウェイを倒せるまで続ける。
元の世界に当てはめて言うなれば、薩摩示現流といったところか。
──一つは水神流。
こちらは剣神流とは真逆。
受け流しとカウンターを中心とした防御の剣術だ。
専守防衛をモットーとしているため、こちらから打って出る手は少ない。
だが達人になると、あらゆる攻撃に対してカウンターを放てるようになるらしい。
あらゆる攻撃──魔術や飛び道具に対しても、だ。
宮廷騎士や貴族といった、守ることが中心となるような人物が習う剣である。
──一つは北神流。
これは剣術というより、兵法であるようだ。
特徴的な技は無く、状況に応じた臨機応変さがウリらしい。
パウロ曰く、臨機応変といっても、小手先で小賢しいことをするのが多いらしい。
しかし、極めればまさに奇想天外。
ジャ○キー・チェンの剣術版といった感じになるようだ。
怪我の治療や、身体部位の欠損があっても戦える流派であるため、傭兵や冒険者といった者たちに好まれる剣術ではある。
これらは三大流派と呼ばれ、世界中に使い手がいる。
剣士として極限に達したいと思う者は、各門派の扉を叩き、死ぬまで剣を振り続けるらしい。
が、そうした者は少数だ。
手っ取り早くそれなりに強くなりたければ、いくつかの流派をかじって良いところ取りをしていくのが基本らしい。
現にパウロも剣神流を主としつつも、水神流と北神流の両方をかじっている。
剣神流にしろ水神流にしろ、それだけで世に出るにはピーキーすぎる剣術なのだろう。
ちなみにこれら剣術も、次のようにランク分けされている。
初級、中級、上級、聖級、王級、帝級、神級。
また各流派の名前に神とついているのは、流派の始祖の通称からだ。
水神流の初代剣士は、同時に水神級の魔術を扱える魔術師でもあったのだとか。
剣も神級、魔術も神級、そらもうベラボウに強かったらしい。
ちなみに、剣士を呼ぶ時は『水神』『水聖』と呼ぶが、魔術師を呼ぶ時は『水神級』『水聖級』と、『級』を付けるのが一般的だそうだ。
例えば、ロキシーは『水聖級魔術師』である。
★ ★ ★
俺は剣神流と水神流の二種類を学んでいくことになった。
攻撃の剣神、防御の水神というわけだ。
「しかし父様。話を聞く限り、北神流が一番バランスがいいように思えますが」
「バカを言うな。あれは剣を使って戦っているだけで、剣術じゃない」
「なるほど」
北神流は三つの流派のうちでも、差別されているようだ。
あるいは、パウロが個人的に嫌っているだけか。
嫌っているわりに、パウロは北神流も上級らしいが。
「ルディは魔法の才能があるようだが、剣術を習っておいて損はない。剣神流の斬撃をしのげるような魔術師になれ」
「魔法剣士……というやつですか?」
「ん? 魔法剣士は剣士が魔法を使えるというものだ。お前の場合は逆だろう?」
どう違うというのだろう。
戦士から転職しようが、魔法使いから転職しようが、魔法剣士は魔法剣士だと思うのだが。
どちらにせよ、剣術を鍛えれば、魔術にも応用できる。
問題は、パウロは身体強化ブーストを無意識でやっているので教えてはくれない、ということだ。
自分でなんとか習得する必要があるが、ただ身体を鍛えてできるようになるものなのだろうか。
どうにかして原理を究明しないとな……。
「…………やっぱり、剣術は嫌か?」
考え込んでいると、パウロが不安そうな顔で聞いてきた。
俺には魔術の才能がある、なんて言われているからか。
パウロは俺が剣術の稽古を望んでいないのでは、と悩んでいるようだ。
だが勘違いしないでほしい。俺は剣術の稽古が嫌なわけじゃない。むさ苦しい男と庭でさわやかな汗を流すより、ロキシーと二人っきりでお勉強するほうが好きなだけだ。
インドア派なのだ。
もっとも、それは好き嫌いの問題だ。
この世界で本気で生きると決めたからには、剣も魔術も頑張ってみせるさ。
「いえ、魔術と同じぐらい剣術も上手になりたいです」
パウロはその言葉にジーンと感動したようで、嬉しそうに頷くと、木剣を構えた。
「よし、じゃあ打ち込みを始めるぞ。掛かってこい!!」
単純な男だ。
魔術と剣術。最終的にどちらに頼ることになるのかはわからない。
ぶっちゃけどっちでもいい。
「はい!! 父様!!」
だが、親孝行は早いうちからしておくべきだ。
生前、両親には死ぬまで苦労を掛けた。
もし俺が両親にもっと優しくしていれば、兄弟たちも俺をいきなり家から叩き出すような真似はしなかったかもしれない。
なので、親は大切にしなければな。
★ ★ ★
そうして剣術の初歩に足を踏み入れた頃、魔術の授業はというと、かなり技術的、かつ実践的な部門へと進んでいた。
「水滝、地熱、氷結領域を順に発生させるとどうなりますか?」
「霧が発生します」
「そうです。ならば、その霧を晴らすには?」
「ええと、もう一度地熱を使って地面を温めます」
「そのとおりです。やってみせてください」
複数の系統を順番に使うことで現象を発生させる。
これは『混合魔術』と呼ばれている。
魔術教本には、雨を降らせる魔術は載っていても、霧を発生させる術はなぜか載っていない。
そこで、魔術師は違う系統の魔術を順番に使う。そうすることで、自然現象を再現するのだ。
顕微鏡のないこの世界。
自然現象の原理まで解明されているわけではないだろう。
混合魔術には、昔の魔術師の創意工夫が詰まっている。
まぁ、俺にそんな面倒なことをする必要はない。
雲を作り出し、雨を降らせる魔術を、地面スレスレで発動するだけでいい。
だが、自然現象を意図的に発生させる、というのは理解しやすい。
頭をひねれば、色々できそうだ。
俺の頭では、少々難しいがな。
「魔術はなんでもできるんですね」
「なんでもはできません、過信してはいけません。ただ冷静に、自分のできること、やるべきことを淡々とこなしてください」
と、ロキシーには窘められたが、俺の頭の中は超電磁砲やら光学迷彩といった単語が躍っていた。
「それに、なんでもできるなんて吹聴して回れば、できないことも押し付けられます」
「先生の経験談ですか?」
「そうです」
なるほど、それは気をつけなければいけない。
押し付けられるのは面倒だしな。
「しかし、魔術師にそんなに仕事を押し付けてくる人がいるんですか?」
「ええ、上級魔術師というものは数が多いわけではありませんから」
戦うことのできる人間が二〇人に一人。
その中でも魔術師はさらに二〇人に一人。
そんな感じらしい。
魔術師は四〇〇人に一人といったところか。
魔術師自体は別に珍しくもないが、
「魔術学校を卒業するまできちんと学んだ人間……。つまり上級魔術師となると、魔術師一〇〇人に一人といったところでしょう」
上級魔術師は、四万人に一人。
中級・上級魔術に加えて混合魔術を操れれば、できることが飛躍的に増える。
ゆえに、引っ張りだこなんだそうだ。
この国の家庭教師も上級以上という資格が必要だ。
資格としての効果も強い。
「魔術学校なんてあるんですか?」
「はい。魔術学校は大国ならどこにでもあります」
それにしても、あるとは思っていたが魔術学校か。
始まっちゃうか? 学園編。
「が、やはりいちばん大きいのはラノア魔法大学でしょう」
ほう、大学もあるのか。
「その大学は他の学校とはどう違うんですか?」
「いい設備と教師が揃っています。他の学校で習うより近代的で高度な講義を受けることができるでしょう」
「先生も大学の出身なんですか?」
「そうです。もっとも、魔術学校というのは格式が高いものなので、魔族であるわたしは魔法大学にしか入れなかったのですが……」
貴族の子弟が通うようなラノア王国の魔術学校は、種族が人間でないというだけで審査で弾かれるのだそうだ。
魔族への差別も少なくなりつつあるが、やはりまだまだ風当たりは強いらしい。
「ラノア魔法大学には変な格式やプライドがありません。正しい理論なら、奇抜でも一蹴されることはありませんし、様々な種族を受け入れることで、各種族の独自魔術の研究もすすんでいます。もしルディが魔術の道を進みたいというのなら、魔法大学に進む道をオススメします」
自分の出身校というのもあるだろうが、ベタ褒めだ。
まあ、もうちょっと先の話だろう。
五歳で入学したらイジメられちゃうかもしれないし。
「そのあたりを決めるのはまだ早いんじゃないかと……」
「そうですね。パウロ様の意向に従い、剣士か騎士の道を進むのもいいと思います。騎士の肩書きを手に入れた上で、魔術大学に留学していた者もいました。剣か魔術、どちらか片方の道しかない、とは思わないでください。魔法剣士という道もありますから」
「はい」
それにしても。
パウロとは逆に、ロキシーは俺が魔術嫌いなのでは、と不安に思っているようだ。
最近は魔力量も増え、法則もわかってきた。
ゆえに、授業を気もそぞろで受けることが多くなってしまった。
もともと、三歳の時にムリヤリ始められた魔術の授業。
この二年で嫌気がさしてきた。
そう思われたのかもしれない。
パウロは俺の魔術の才能を見て。
ロキシーは俺の剣術の熱心さを見て。
それぞれ違う理由から、中間の道もあるのだと示しているのだろう。
「でも、まだまだ先の話でしょう?」
「ルディにとってはそうですね」
ロキシーは寂しそうに笑った。
「ですが、そろそろわたしの教えられることも少なくなりました。卒業も近いですから、こういう話をしてもいいでしょう」
…………卒業?
第六話「尊敬の理由」
この世界に来てから、俺は家の外に出たことはない。
意図的に、出ないようにしてきた。
怖いからだ。
庭に出て、外を見れば、すぐにでも記憶が蘇る。
あの日の記憶。脇腹の痛み。雨の冷たさ。無念。絶望感。トラックにハネられた時の痛み。
それらが昨日のことのように蘇ってくる。
足が震える。
窓から外を見ることはできた。自分の足で庭までは出ることができた。
だが、それ以上は出られない。
俺は知っている。
目の前に広がるのどかな田園風景は、一瞬で地獄に変わるのだ。いかにも平和ですという風景は、決して俺を受け入れてはくれないのだ。
生前。家の中で悶々としながら何度妄想しただろうか。
日本がいきなり戦争に巻き込まれたら。ある日突然美少女の居候ができたら。
そしたら、きっと俺は頑張れる。
そんな妄想をして、現実逃避をしていた。
何度も夢に見た。
夢の中の俺は超人ではなかったが、人並みだった。人並みに、自分のできることをやっていた。一人で生きていくことができていた。
けれど、夢は覚めた。
もし、一歩でも家の外に踏み出せば、この夢も覚めてしまうかもしれない。
夢が覚め、あの絶望の瞬間に戻ってしまうかもしれない。
後悔の波に押しつぶされそうな、あの瞬間に………。
いや、これは夢じゃない。
こんなリアルな夢があってたまるものか。
VRMMORPGだと言われたほうがまだ納得できる。
これは現実だ。
そう、自分に言い聞かせる。
わかっている。
この現実は夢じゃない。
わかっているのに、俺は一歩も踏み出せない。
心の中ではどれだけやる気になっても。
本気になると口で誓っても。
身体は決して付いてこない。
泣きそうだ。
★ ★ ★
卒業試験は村の外でやる。
そう言ったロキシーに、俺は小さく抵抗した。
「外ですか?」
「はい、村の外です。もう馬も用意してあります」
「家の中でやることはできませんか?」
「できません」
「できませんか……」
俺は迷っていた。
頭の中ではわかっている。いつかは外に出なければならない。
この世界でも引きこもりであってたまるものか、と。
しかし、身体は拒否する。覚えているのだ。あの時のことを。
生前、不良どもにボコボコにされて、ゲラゲラと笑われ、心に大きな傷を負った時のことを。
どうしようもなくて、引きこもってしまった時のことを。
「どうしました?」
「いえ………その………、外には魔物とかいるかもしれませんし」
「このあたりは森に近づかなければ滅多に遭いませんよ。それに、遭っても弱いですから、わたし一人でも倒せます。ていうか、ルディでもいけると思いますよ」
この期に及んであれこれと理由をつけて外に出たがらない俺を見て、ロキシーは怪訝そうな顔をしている。
「あ、そういえば聞きました。ルディ、あなた外に出たことがないんでしたっけ?」
「う……はい」
「さては、怖いんですね? 馬が」
「う、馬は別に怖くないですよ?」
馬はむしろ好きだよ?
ダビ○タとかやってたし。
「ふふ。安心しました。意外に歳相応なところもあるんですね」
ロキシーは勘違いしていた。
しかし、外に出るのが怖いとは言えなかった。
それはきっと、馬が怖いというより情けないことだからだ。
俺にはプライドがあった。
内実を伴わない、ちゃちなプライドだ。
この小さな少女に馬鹿にされたくないという、ただそれだけの。
「仕方ありませんね。よっこらしょ」
俺が動かないでいると、ロキシーはいきなり俺を肩に担いだ。
「なぁ!?」
「乗ってしまえば、すぐにでも怖くなくなりますよ」
俺は暴れなかった。
心の中に葛藤があったせいもあるが、持ち運ばれて流されるまま任せておけばいいか、とそんな気持ちもあった。
ロキシーにポンと放り投げられるように馬の上に乗せられた。
ロキシーはそのまま後ろに飛び乗り、手綱をぽんと一つ打つ。
馬はカッポカッポと歩き出した。
俺はあっさりと家を出た。
★ ★ ★
この世界に来てから庭の外に出るのは初めてだ。
ロキシーは村の中をゆっくりと進んでいく。
時折、俺たちを見て、村人が無遠慮な視線を送ってくる。
まさか、と思う。
身体が緊張する。
視線はいまでも怖い。
無遠慮で、格下を見る目は、特に。
明らかに馬鹿にする口調で話しかけられたりはしないだろうか。
ないはずだ。
知らないはずだ。
この世界で俺を知っている人は、あの狭い家の中だけだ。
なんで見ている。
見るなよ。仕事してろよ……。
いや……。
俺ではない。
ロキシーを見ているのだ。
中にはロキシーに向けて会釈をする者もいる。
ああ、そうか。
彼女は、村の中に立場を築いたのだ。
この国では、まだ魔族への風当たりが強いというのに。
田舎ともなれば、その傾向はより顕著だろうに。
たった二年で、彼女はこの村で会釈をされる存在になったのだ。
そう考えた瞬間、背中のロキシーがとたんに頼もしく感じられた。
彼女は道を知り、人々と知り合っている。
もし人々が俺に何か言ったとしても、なんとかしてくれるだろう。
ああ、まさか、寝室を覗いてあんなことしてた少女がこんなに頼もしく感じられるとは。
次第に、俺の身体から緊張が抜けていくのが感じられた。
「カラヴァッジョが上機嫌です。彼、ルディを乗せられて嬉しいみたいですよ」
カラヴァッジョとは、馬の名前である。
当然ながら、俺には馬の機嫌などわからない。
「そうですか」
適当に返事をしつつもたれかかると、ロキシーの控えめな胸が首裏に当たった。
いい感じだ。
俺は何を恐れていたのだろうか。
こんなのどかな村で、誰が俺を馬鹿にするというのか。
「まだ怖いですか?」
そう聞かれ、俺は首を振った。
人の視線はもう怖くなくなっていた。
「いえ、もう大丈夫です」
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
心に余裕ができていた。
すると、周囲の風景が目に入ってきた。
一面見渡す限りの畑で、間に家がちょこちょこと建っている。
まさに農村という感じだ。
かなり広い範囲に結構な数の家が見える。もっと密集していれば、町と思ったかもしれない。
風車が立っていればスイスと思ったかもしれない。
あ、水車小屋もあるのか。
リラックスできると、沈黙が気になった。今までロキシーといる時は、こんな沈黙は無かった。
こんな風に、二人で密着しているなんてこともなかった。沈黙は苦ではなかったが、こそばゆかった。
なので俺は口を開く。
「先生、この畑では何が取れるんですか?」
「主にはアスラン麦です。パンの原料ですね。それに、バティルスの花と野菜を少々といったところでしょうか。バティルスの花は王都で加工されて香料になります。あとはいつも食卓に上がるものばかりですね」
「あ、あそこのはピーマンですよね。先生が食べられない」
「べ、別に食べられないわけじゃありません。ちょっと苦手なだけです」
俺はあれこれと質問を続ける。
今日、ロキシーは最終試験だと言った。
つまり、家庭教師が終わりだということだ。
せっかちなロキシーのことだ。明日にはウチを出ていくかもしれない。
そうなれば、今日が最後だ。もっと話をしておこう。
しかし、気の利いた話題は見つからず、俺は村のことをただひたすらに聴き続けた。
ロキシーの話によると、この村はアスラ王国の北東にあるフィットア領の一部で、ブエナ村という名前らしい。
現在は三〇世帯余りが農業をして暮らしているらしい。
俺の父親であるパウロは、この村に派遣されている騎士だ。
村人がきちんと仕事をしているか監視をすると同時に、村内で喧嘩を仲裁したり、魔物などが攻めてきた際には村を守ったり、といった仕事を受け持っている。
ようするに国公認の用心棒だ。
とはいえ、この村では若い衆が持ち回りで自警をしている。
だから、パウロも午前中で見回りを終えたら、午後は大体家にいるわけだ。
基本的に平和な村だから、仕事が無いのだ。
そんな話をしていると、次第に畑もなくなってきた。
聞くこともなくなり、しばらくまた沈黙する。
それからさらに一時間ほどだろうか。
周囲からは完全に畑が消え、何もない草原を移動していた。
★ ★ ★
地平線の果てまでずっと草原だ。
いや、遠くの方にうっすらと山が見える。
少なくとも、日本では見られない光景だろう。
地理の教科書か何かで見たモンゴルの光景がこんな感じだったろうか。
「このあたりでいいでしょう」
ロキシーはポツンと一本だけ立っている木の側で馬を止めると、降りて手綱を木に結んだ。
そして、俺を抱いて下ろしてくれる。
ついで俺と向かい合った。
「これからわたしは水聖級攻撃魔術『豪雷積層雲』を使います。この術は、広範囲に雷を伴う豪雨を降らせる術です」
「はい」
「真似して使ってみてください」
水聖級の魔術を使う。
なるほど、それが最終試験の内容か。
これから使うのが、ロキシーの最大の魔術であり、俺が使えるようになれば、ロキシーに教えられることはないということだ。
「わたしは実演するために一分ほどで散らしますが、そうですね……。一時間以上降らせ続けることができたら合格としましょう」
「秘伝だから人のいない所でやるんですか?」
「違います。人や農作物に被害が出るかもしれないからです」
ほう。
農作物に被害が出るレベルの雨を降らせるのか。
こりゃ凄そうだ。
「では」
ロキシーは天に向かって両手を上げた。
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!!
我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!!
神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!!
ああ、雨よ!! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!!
『キュムロニンバス』!!」
一つ一つの単語を、噛み締めるようにゆっくりと詠唱する。
時間にして一分以上。
唱え終わった瞬間、一瞬にして周囲が暗くなった。
数秒のタイムラグ──そして叩きつけるように雨が落ち始める。
凄まじい暴風が吹き荒れ、真っ黒な雲が稲光を伴いだす。
ザーザーと滝のような雨の中、ゴロゴロと音を立て、紫色の光が雲の中に走る。
雲の中の稲光が次第に力を増していく。
まるで光が重さを伴っているかのように次第に膨れ上がっていき──。
──落ちた。
バガァァン!!
木に落ちた。
鼓膜がジンジンし、目がチカチカした。
気絶するかと思った。
「あっ!!」
ロキシーがうっかりミスをした時の声を上げる。
雲が一瞬で散っていく。
雨も雷もすぐに収まった。
「あわわ……」
ロキシーが真っ青な顔で木の方に駆け寄っていく。
見てみると、馬が煙を上げて倒れていた。
ロキシーは馬に手を当てると、即座に詠唱。
「母なる慈愛の女神よ、彼の者の傷を塞ぎ、健やかなる体を取り戻さん『エクスヒーリング』!!」
ロキシーがわたわたと中級の治癒魔術を施し、程なくして馬は蘇った。
即死ではなかったらしい。
中級の治癒魔術では、死者は蘇らないからな。
馬は怯えた顔をしていて、ロキシーの額には脂汗がびっしりついていた。
「ふ、ふぅ……危ないところでした」
確かに危ないところだった。
あの馬はうちに一頭しかいない馬だ。
パウロが毎日丁寧に手入れをして、たまににこやかな顔で遠乗りに出かけていく。
別に名馬でもなんでもないらしいが、長年苦楽を共にしてきた友で、ゼニスの次に愛していると言って憚らない。そんな大切な馬だ。
もちろん、二年間一緒に暮らしてきたロキシーだってそのことはよく知っている。
ロキシーが恍惚とした表情で馬にべったり張り付いているパウロを目撃して、若干引いていたのを、俺は知っている。
「こ、このことはナイショでお願いしますね?」
ロキシーは涙目になって言った。
彼女はドジだ。
よく、うっかりミスでこんなことをしてしまう。
だが、頑張り屋だ。毎晩、夜遅くまで俺への授業の予習をしていたのも知っている。
まだまだ若いってことでナメられないように、精一杯威厳を出そうとしていたことも知っている。
俺はそんな彼女を好ましく思う。
年齢が離れてさえいなければ嫁に欲しいぐらいに。
「安心してください。父様には言いませんので」
「うう……お願いします」
なるべくなら、同年代で知り合いたかったな。
「うぅ……」
ロキシーは半泣きだったが、すぐに顔をブルブルと振り、パンパンと頬を叩くと、キリッとした顔で俺を見た。
「さぁ、やってみなさい。カラヴァッジョはわたしが守っておきますので」
馬は今にも怯えて逃げ出しそうな様子だが、ロキシーが小さな身体でガッシリと止めている。
ロキシーの小さな体で馬を抑えられるとは思えないのだが、馬はそわそわしつつもおとなしくしている。ロキシーはその体勢のまま、むにゃむにゃと何かを詠唱し始めた。
と、見るまに彼女と馬を土の壁が覆っていく。
あっという間に、土製のカマクラが出来上がる。
土の上級魔術『土砦』だ。
あれなら、雷雨を受けても大丈夫だろう。
よし、やるか。
いっちょすごいのを見せて、ロキシーの度肝を抜いてやろう。
えーと、たしか詠唱は……。
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!!
我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!!
神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!!
ああ、雨よ!! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!!
『キュムロニンバス』!!」
一発で言えた。
モクモクと雲ができていく。
と同時に、俺は『豪雷積層雲』を理解した。
中空に雲を作り出すと同時に、複雑に動かして雷雲にする。そんな感じだ。
常時魔力を注ぎ込まなければ雲の動きが止まり、すぐに雲が散ってしまう。
(魔力はともかく、両手を一時間も上に上げ続けるのはしんどいな……)
いや、まて。
魔術師は創意工夫だ。
こんな元気を集めるようなポーズで一時間も耐える必要はないんじゃないか?
そうだ。これは試験だ。
一時間も同じ姿勢でいるのではなく、雲を作ったら混合魔術であれを維持するのだ。
危ないところだった。習ったことを使わねば。
「えーっと。確か昔テレビ見たな。雲ができるまでの過程は───」
さっきロキシーが作った雲がまだ残っている。
こう横向きに竜巻を発生させるような感じで、上昇気流を作るのに下の方を暖めたほうがいいんだっけか。
ついでに上の方も冷やして上昇気流の速度を上げて──。
なんてやっていたら、半分ぐらい魔力を消費してしまった。
まぁでも、これだけやれば一時間以上は持つだろう。
俺は満足して、雷の鳴る豪雨の中、ロキシーの作ったドームの中へと入った。
ロキシーは暗いドームの端の方で、馬の手綱を握って座っていた。
彼女は俺を見ると、こくりと頷いた。
「このドームは一時間ほどで消えますので、それまで消えなければ大丈夫です」
「はい」
「安心してください。カラヴァッジョは大丈夫です」
「はい」
「はいはい言ってないで、一時間、外できっちり雷雲を制御するんです」
ん?
「制御ですか?」
「ん? 何かおかしなことを言いましたか?」
「いえその、制御って必要なんですか?」
「そりゃあもちろん、水聖級の魔術だって、魔術なのですから、きちんと魔力を使って維持をしないと、風に散らされてしまいます」
「散らされないようにはしておきましたけど……?」
「は? ぁ……!?」
ロキシーは何かに気づいたようにドームの外へと飛び出していった。
同時に、ドームがボロボロと崩れ始める。
こらこら、ちゃんと制御しないか。
馬が生き埋めになるだろう。
「おっととと」
と、慌てて制御を引き継ぎ、外に出る。
ロキシーは呆然とした顔で空を見上げていた。
「……そうか、斜めに上がっていく竜巻が雲を押し上げて……!!」
そこには、俺の創りだした、際限なく大きくなっていく積乱雲があった。
我ながらいい出来だ。
昔、何かの特番でスーパーセルができるまで、というのを科学的に検証していた。
詳しい内容はよく覚えていない。
確かこんな感じというビジョンを持って作っていたら、それっぽいのができたのだ。
「ルディ。合格です」
「え? でも、また一時間経ってませんよ?」
「必要ありません。あれだけできれば十分でしょう。ていうか消せますか?」
「あ、はい。ちょっと時間掛かりますけど」
俺は地面の方を広域で冷やしたり、上の方を温めたり、下に向かって気流を作ったりして、最終的に風魔術の力技で、なんとかして雲を散らした。
終わる頃には、俺とロキシーはびしょ濡れになっていた。
「おめでとうございます。これであなたは水聖級です」
水もしたたるいい女は、濡れた前髪をかき上げつつ、普段あまり見せない晴れやかな笑みでそう宣言した。