中学生ぐらいか。
魔術師っぽい茶色のローブに身を包み、水色の髪を三つ編みにして、ちんまりというのが正しい感じの佇まい。
日焼けしていない白い肌に、少し眠そうジトっとした目。無愛想な感じの口元。眼鏡こそかけていないものの、図書館に引きこもっている文学系少女という印象を受ける。
手にしているのは鞄一つと、いかにも魔術師が持っていそうな杖だけだ。
そんな彼女を、家族三人でお出迎え。
「……」
「……」
彼女の姿を見て、両親はびっくりして声も出ないようだった。
そりゃそうだろう。
予想とあまりに違いすぎる。
家庭教師として雇うのだから、それなりに歳を重ねた人物を想像していたのだろう。
それが、こんなちんまいのだ。
もっとも、数多くのゲームをこなしてきた俺にしてみれば、ロリっこ魔術師の存在は別段不思議ではない。
ロリ・ジト目・無愛想。
三つ揃った彼女はパーフェクトだ。
ぜひ俺の嫁に欲しい。
「あ、あ、君が、その、家庭教師の?」
「あのー、ず、随分とそのー」
両親が言いにくそうにしているので俺がズバリ言ってやることにした。
「小さいんですね」
「あなたに言われたくありません」
ピシャリと言い返された。
コンプレックスなのだろうか。
胸の話じゃないんだけどな。
ロキシーはため息を一つ。
「はぁ。それで、わたしが教える生徒はどちらに?」
周囲を見渡して聞いてくる。
「あ、それはこの子です」
ゼニスの腕の中にいる俺が紹介される。
俺はキャピっとウインク。
すると、ロキシーは目を見開いたのち、ため息を吐いた。
「はぁ、たまにいるんですよねぇ、ちょっと成長が早いだけで自分の子供に才能があると思い込んじゃうバカ親……」
ぼそりと呟く。
聞こえてますよ!! ロキシーさん!!
ま、俺もそれには激しく同意だけどね。
「何か」
「いえ。しかし、そちらのお子様には魔術の理論が理解できるとは思いませんが?」
「大丈夫よ、うちのルディちゃんはとっても優秀なんだから!!」
ゼニスの親馬鹿発言。
再度、ロキシーはため息を吐いた。
「はぁ。わかりました。やれるだけのことはやってみましょう」
これは言っても無駄だろうと判断したらしい。
こうして、午前はロキシーの授業を、午後はパウロに剣術を習うこととなった。
★ ★ ★
「では、この魔術教本を……いえ、そのまえに、ルディがどれほど魔術を使えるか試してみましょう」
最初の授業で、ロキシーは俺を庭に連れ出した。
魔術の授業は主に外でやるらしい。
家の中で魔法をぶっぱなせばどうなるか、ちゃんとわかっているのだ。
俺のように、壁をぶっ壊したりはしないのだ。
「まずはお手本です。汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに『ウォーターボール』」
ロキシーの詠唱と同時に、彼女の手のひらにバスケットボールぐらいの水弾ができた。
そして、庭木の一つに向かって高速で飛んでいき、
ベキィ。
と、木の幹を簡単にへし折ると、柵を水浸しにした。
サイズ:三、速度:四ぐらいだろうか。
「どうですか?」
「はい。その木は母様が大事に育ててきたものですので、母様が怒ると思います」
「え? そうなんですか!?」
「間違いないでしょう」
一度、パウロが剣を振り回して木の枝を叩き折ったことがあるが、その時のゼニスの怒りようは半端ではなかった。
「それはまずいですね、なんとかしないと……!!」
ロキシーは慌てて木に近づくと、倒れた幹をうんしょと立てた。
そして顔を真っ赤にして幹を支えたまま、
「うぐぐ……、神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん『ヒーリング』」
詠唱。
木の幹はじわじわと折れる前へと戻っていった。
おー、すげー。
とりあえず褒めとこう。
「ふう」
「先生は回復魔術も使えるのですね!!」
「え? ええ。中級までは問題なく使えます」
「すごい!! すごいですぅ!!」
「いいえ、きちんと訓練すればこのぐらいは誰にでもできますよ」
言い方はややぶっきらぼうだったが、口元はにまにまとだらしなく緩んでおり、ちょっと得意げに鼻がひくひくと動いていた。嬉しそうだ。
特に捻りもなくすごいすごいと連呼しただけでこれか、チョロそうだ。
「では、ルディ。やってみてください」
「はい」
俺は手を構えて……。
ヤバイ、一年近く水弾の詠唱なんてしてなかったから思い出せない。
今ロキシーが言ったばっかだよな。えっと、えっと。
「えっと、なんて言うんでしたっけ?」
「汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに、です」
ロキシーは淡々と言った。この程度は想定内らしい。
しかし、そんな淡々と言われても一度では覚えられん。
「汝の求める所に……ウォーターボール」
思い出せないので端折った。
先ほどのロキシーの作った水弾よりもちょっとだけ小さく、ちょっとだけ遅く。
彼女より大きいのを作ったら拗ねるかもしれないしな。
俺は年下の女の子には寛容なのだ。
バスケットボールの水弾は、バシュンという音を立てて勢いよく射出された。
バキバキッと木が倒れる。
ロキシーは難しい顔をしてそれを見ていた。
「詠唱を端折りましたね?」
「はい」
何かヤバかっただろうか。
そういえば、無詠唱は魔術教本にも載っていない。
何気なく使っていたが、実は何か禁忌に触れたりするんだろうか。
それとも、俺のようなのが詠唱を端折るとか十年早いとか怒られるんだろうか……。
その場合、いいじゃねえかよ、あんなダセェ詠唱していられっかよ、って反発したほうがいいんだろうか。
「いつも詠唱を端折っているのですか?」
「いつもは……無しで」
どう答えるか迷ったが、正直に答えておく。
これから勉強を教わるのだし、いずれはバレる。
「無し!?」
ロキシーは目をむいて、マジで、という顔で俺を見おろした。
「……そう。いつもは無し。なるほどね。疲れは感じていますか?」
しかし、すぐにすまし顔で取り繕った。
「はい、大丈夫です」
「そう。水弾の大きさ、威力共に申し分ないです」
「ありがとうございます」
ロキシーは、ここでようやく微笑んだ。
ニヤリと。
そして呟く。
「……これは鍛えがいがありそうですね」
だから聞こえてるって。
「さあ、さっそく次の魔術を……」
ロキシーが興奮した様子で、魔術教本を開こうとした時。
「ああぁー!!」
背後で叫び声が上がった。
様子を見にきたゼニスだった。
飲み物を載せたお盆を取り落とし、両手で口を押さえて、ボッキリ折れた木を見ている。
悲しげな表情。
次の瞬間、その表情に怒りの色が篭っていく。
あ、やべぇ。
ゼニスはツカツカと歩いてくると、ロキシーに詰め寄った。
「ロキシーさん!! あなたね!! ウチの木を実験台にしないで頂戴!!」
「えっ!! しかしこれはルディがやったもので……」
「ルディがやったのだとしても、やらせたのはあなたでしょう!!」
ロキシーは背景にイナズマが奔ったようなショックを受け、白目になってがっくりと項垂れた。
まぁ、三歳児に責任をなすりつけちゃいかんだろ。
「はい……そのとおりです」
「こういうことは二度としないで頂戴ね!!」
「はい、申し訳ありません、奥様……」
その後、ゼニスは庭の木をヒーリングで華麗に修復すると、家の中へと戻っていった。
「早速失敗してしまいました……」
「先生……」
「ハハッ、明日には解雇ですかね……」
地面に座り込んで『の』の字を書き始めそうなロキシー。
打たれよわいなぁ……。
俺は彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「……」
「ルディ?」
叩いてみたが、二十年近く人と話してこなかった俺には、慰めの言葉が見つからない。
ごめんなさい。こういう時、なんて言っていいのかわからないの……。
いや、落ち着け。
考えろ考えろ、エロゲーの主人公ならこんな時にどうやって慰めてた?
そう、確か、こんな感じだ。
「先生は今、失敗したんじゃありません」
「ル、ルディ……?」
「経験を積んだんです」
ロキシーはハッと俺を見た。
「そ、そうですね。ありがとうございます」
「はい。では授業の続きをお願いします」
こうして、初日からロキシーとちょっと仲良くなれた。
★ ★ ★
午後はパウロと鍛錬だ。
俺の体格にあった木剣がないため、基本的には体作りが中心となってくる。
ランニング、腕立て伏せ、腹筋、などなど。
パウロは、とりあえず最初は体を動かす、ということを中心にやらせるつもりらしい。
パウロが仕事で指導ができない日も、基礎体力訓練だけは毎日欠かさずやるように言いつけられた。
そのへんは、どこの世界でも変わらないらしい。
頑張ろう。
子供の体力では午後全部を使って鍛錬をするわけにもいかないので、剣術は昼下がりまでには終了する。
そのため、俺は夕飯までの間に、魔力を使い果たすまで使う。
魔術というものは『大きさを変化させる』と使用する魔力量が変わる。
詠唱した時に何も意識しない時を一とすると、大きくすればするほど加速度的に消費魔力が増えていく。
質量保存の法則ってやつだ。
しかし、なぜか逆に小さくすることでも消費魔力が増えるのだ。
この理論はよくわからない。
こぶし大の水弾を作り出すより、一滴の水を生み出すほうがはるかに魔力を消費する。
おかしな話だ。
前々から疑問に思ってみたのでロキシーに聞いてみたら、「そういうものだ」と返された。
解明されていないらしい。
仕組みはわからない。
しかし、訓練を行うに関しては、その仕様も悪くはない。
最近は魔力総量が結構増えてきたので、大きな魔術を使わなければ消費しきれないのだ。
魔力を使うだけなら、力尽きるまで最大出力でぶっぱなせばいい。
だが、そろそろ応用力をつけていっても良いだろう。
なので、できる限り細かい作業を練習することにした。
魔術で小さく、細かく、複雑な作業をするのだ。
例えば、氷で彫像を作ったり、指先に火を灯して板に文字を書いたり。
庭から土を持ってきて成分を選り分けたり……。
錠前の鍵を掛けたり外したり、なんてのもやってみた。
土の魔術は金属や鉱物にもある程度作用するようだ。
ただし、金属の種類が硬くなればなるほど、消費される魔力が大きくなった。
やはり硬いものを変化させるのは、難しいらしい。
操作する対象が小さくなればなるほど、細かく複雑に、かつ正確に素早く動かそうとすればするほど、消費する魔力の量が莫大になっていく。
野球ボールを全力投球する。
針の穴にゆっくりと糸を通す。
この二つで同じぐらいの魔力を消耗するといった感じだ。
また、違う系統の魔術を同時に使用するということもやってみた。
同じ系統を同時に使うのに比べ、三倍以上の魔力を消費するようだ。
つまり、二種類の系統の魔術を同時に発動し、小さく細かく素早く正確に動かせば、簡単に魔力を全消費することができた。
そんな毎日を続けていたら──
半日以上、魔術を使い続けても、まったく底が見えなくなってきた。
もうこれくらいで十分か、そんな気持ちが芽生える。
俺の怠け者の部分が、そろそろいんじゃね? と囁いてくる。
その度に、俺は自分を叱りつけた。
筋トレだってちょっとサボったら体が鈍る。
魔力だってそうかもしれない。一時的に増えたからって訓練を欠かしてはいけないのだ。
★ ★ ★
夜中に魔術を使っていると、どこからかギシギシアンアンと悩ましい音が聞こえだした。
どこからかもなにも、パウロとゼニスの寝室に決まっている。
お盛んだ。
そう遠くない未来に、俺の弟か妹が生まれることだろう。
できれば妹がいいな。
うん。弟はいやだ。
俺の脳裏には、俺の愛機パソコンにバットをフルスイングする弟の姿が残っている。
弟はいらない。
可愛い妹がいい。
「やれやれだぜ……」
生前なら、こんな悩ましい音を聞いたら、即座で壁ドンか床ドンして黙らせたものだ。
おかげで姉は家に男を連れてこなくなった。
懐かしい。
当時、ああいうことをする奴らは、俺の世界を黒く塗りつぶす巨悪に思えた。
俺をイジメてた奴らが、俺の決して手の届かない領域からアホ面して見下ろしてるような気がして、やり場のない怒りが襲った。
暗く不快な場所に落とした張本人が、お前、まだそんな所にいるの? と、見下してくるのだ。
これほど悔しいことはない。
しかし、最近は違う。
身体が子供になったせいか、ヤっているのが両親なせいか、あるいは自分自身で未来に向かって努力しているせいか。
二人の営みを、すげー微笑ましい気分で聞いている俺がいる。
フッ、俺も大人になったもんだぜ……。
音だけ聞いていると、なんとなく内容もわかる。
どうやら、パウロはかなりお上手らしい。
ゼニスの方はあっという間に息も絶え絶えノックダウン状態になっているのに、パウロは「まだまだこれからだぞぅ」とか言って攻めつづけている。
陵辱系エロゲの主人公みたいな男だ。
底知れぬ精力……。
ハッ、もしかしてパウロの息子である俺のムスコにもそんなパワーが秘められているのでは!?
覚醒はよ。
ヒロインはよ!!
俺にもピンク色の展開を!!
と、最初の頃は興奮していたが、最近では枯れたもので、ギシギシと軋む廊下を通り抜けて、平然とトイレに行くようになった。
ちなみに、部屋の前を歩くとギシアンがぴたっと止まるので、結構面白い。
その日も、歩けるようになった息子がいるということを知らしめてやるべく、トイレへと向かった。
どれ、今日は一つ、声でも掛けてやるか。
おとーさん、おかーさん、裸でなにしてるの? とか聞いてみるか。
言い訳が楽しみだぜ。ククク……。
そんなことを考えながら、音を殺して部屋を出た。
そこには先客がいた。
青髪の少女が、暗い廊下に座り込んで、ドアの隙間から寝室を覗いていた。
頬は紅潮し、やや荒い息を潜めるように、しかし視線は部屋の奥に釘付け。
その手は、ローブの下へと潜り込んで何やら悩ましげな動きを見せていた。
俺はそっと自室へと戻った。
ロキシーとて年頃の娘である。
彼女がこのようなアレにふけるのを、見てみぬふりをする情が俺にも存在した。
……なんちゃって。
いやぁ、いいものを見た。
★ ★ ★
四ヶ月ほど経った。
中級までの魔術は使えるようになった。
ということで、ロキシーと夜の座学をすることになった。
おっと、夜のって付いてるからってエロいことをするわけじゃないぞ。
勉強するのは、主に雑学だ。
ロキシーはいい教師だ。
決してカリキュラムにこだわりを持たない。
俺の理解度に合わせて、授業の内容をエスカレートさせる。
生徒への対応力が高いのだ。
教科書用に用意した本から質問を出して、俺が答えられれば次に行く。
わからなければ丁寧に教えてくれる。
それだけのことだが、俺は世界が広がるのを感じた。
生前、兄が受験の時、家庭教師を雇っていた時期があった。
俺も、一度だけ気まぐれでその内容を聞いたことがある。
だが、学校の授業の内容とそう変わるものではなかった。
それに比べて、ロキシーの授業はわかりやすく、面白い。
打てば響く授業だ。
ていうか、性に芽生え始めた中学生ぐらいの先生に勉強を教えてもらう。
そのシチュエーションが最高だ。
生前の俺なら、そんな妄想だけで三発はイケたね。
★ ★ ★
「先生、どうして魔術には戦闘用のものしかないんですか?」
「別に戦闘用しかないわけではないのですが……」
俺の唐突の質問にもロキシーはきちんと答えてくれる。
「そうですね、何から説明しましょうか……。まず魔術というのは、古代長耳族が創りだしたものだと言われています」
おお、エルフ!!
やはりいるのか!!
金髪で緑っぽい服を着ていて弓を持っていて触手に絡め取られる人たち!!
おっと、落ち着け。
俺の認識と違うかもしれない。
字面を見るに、耳は長いようだが……。
「長耳族というのは?」
「はい。長耳族とは、現在はミリス大陸の北の方に住んでいる種族です」
ロキシーの話によると。
大昔、まだ人魔大戦が起きる前、世界がまだ混沌として戦いが絶えなかった頃、古代長耳族たちは外敵と闘うため、森の精霊たちと対話し風や土を操ったそうだ。そして、それが史上最古の魔術と言われているのだとか。
「へえ、ちゃんと歴史があるんですね」
「当然です」
ロキシーは、茶化すなと言わんばかりに頷いた。
「今の魔術というのは、人族が戦争の中で長耳族の魔術を真似し、形態化させていったものです。人族はそういうのが得意ですからね」
「人族はそういうのが得意なんですか?」
「ええ、新しいものを生み出すのは、いつも人族です」
人族は発明大好きな人種らしい。
「戦闘用しかないのは、主に戦いの中でしか使われてこなかったというのもありますが……。魔術に頼らなくても、身近なものを使えば実現できるという理由もあります」
「身近なもの、というと?」
「例えば明かりが必要なら、ロウソクやカンテラを使えばいいでしょう?」
なるほど、よくある設定、ってやつか。
魔術を使うより、道具を使ったほうが簡単だから。
理にかなってるぜ。
もっとも、無詠唱なら道具を使うより簡単なんだがね。
「それに、全ての魔術が戦闘用というわけではありません。召喚魔術を使えば、必要に応じた力を持つ魔獣や精霊を召喚することもできますし」
「召喚魔術!! そのうち教えてもらえるんですか?」
「いえ、わたしには使えませんので。それに、道具というのなら、魔道具というものも存在します」
魔道具か。
字面からなんとなく想像がつくな。
「魔道具というのは?」
「特殊な効果を持つ道具です。内部に魔法陣を刻んであるので、魔術師でなくとも扱うことができます。もっとも、ものによっては大量の魔力を使いますが」
「なるほど」
大体想像どおりだ。
それにしても、ロキシーが召喚魔術を使えないのは残念だ。
攻撃魔術や治癒魔術はなんとなく原理がわかるが、召喚魔術は何をどうすればいいのかわからない。
それにしても、知らない単語が一気に増えたな。
人魔大戦、魔獣、精霊……。
大体わかるけど。一応聞いておくか。
「先生、魔獣と魔物はどう違うんですか?」
「魔獣と魔物は大きくは違いません」
基本的に魔物というのは従来の動物から突然変異で生まれる。
それが運よく数を増やして、種として定着し、世代を重ねて知恵をつけたのが魔獣だ。
もっとも、知恵をつけても人を襲うようなのは魔物と呼ばれることも多いらしい。
逆に、魔獣が世代を重ねて凶暴になり、魔物に戻るケースもあるとか。
具体的な線引きはないそうだ。
魔物・人を襲う。
魔獣・人を襲わない。
という認識でいいのか。
「というと、魔族は魔獣が進化したものなんですか?」
「全然違います。魔族という単語は、大昔に人族と魔族が戦争をしていた頃につけられた名称です」
「さっき言ってた、人魔大戦ってヤツですか?」
「そうです。最初の戦争があったのは七〇〇〇年ぐらい前ですね」
「それはまた、気が遠くなるぐらい昔ですね」
この世界は、わりと長い歴史を持っているようだ。
「そう昔でもないですよ。つい四〇〇年前にも、人族と魔族の間で戦争をしていましたからね。七〇〇〇年前に始めてから、休み休みずっと戦争してるんですよ、人族と魔族は」
四〇〇年でも十分昔だと思うが、しかし七〇〇〇年以上も争い続けているのか。
仲悪いねえ。
「はぁ、なるほど。それで結局、魔族というのは?」
「魔族というのは、結構定義が難しいのですが……」
曰く『一番新しい戦争で魔族側についていた種族』というのが一番わかりやすいらしい。
もっとも、例外もあるそうだが。
「あ、ちなみに私も魔族です」
「おぉ、そうだったんですか」
魔族がここで家庭教師をやっている。
てことは、今は戦争してないってことかな?
平和が一番。
「はい。正式には魔大陸ビエゴヤ地方のミグルド族です。ルディの両親も、わたしの姿をみて驚いていたでしょう?」
「あれは先生がちっちゃいからだと思っていました」
「小っちゃくありません」
ロキシーはムスッした顔で即座に言い返した。小さいことを気にしているらしい。
「あれはわたしの髪を見て驚いていたんです」
「髪?」
青くて綺麗な髪だと思うが。
「魔族は一般的に、緑に近い髪色を持つ種族ほど凶暴で危険だと言われています。特にわたしの髪は、光の加減では緑に見えなくもないですから……」
緑色。
この世界の警戒色なのだろうか。
ロキシーの髪は目が醒めるような水色だ。
彼女は自分の前髪をくるくるといじりながら説明してくれている。
仕草が可愛い。
日本で水色の髪といえば、パンク系かオバちゃんと相場は決まっているものだ。
そういう人らを見ても、俺は不自然さと嫌悪感しか抱かない。
だが、ロキシーの青髪は不自然さが全然なく、嫌悪感を抱かない。
むしろ、ロキシーのちょっと眠そうな目によく似合っている。
エロゲーのヒロインにいたら、最初に攻略するぐらいには似合ってる。
「先生の髪は綺麗ですよ」
「……ありがとうございます。でも、そういうことは将来好きな子ができた時に言ってあげてください」
「僕、先生のこと、好きですよ」
迷わず言った。
俺は迷ったりしない。
可愛い子には全員に粉をかけるのだ。
「そうですか。あと十数年した時に考えが変わらなかったらもう一度言ってください」
「はい、先生」
あっさりスルーされたが、ロキシーがちょっと嬉しそうな顔をしていたのは見逃さない。
エロゲーで鍛えたナイスガイスキルが異世界でどれだけ通用するかはわからない。
けど、まったく無意味というわけではないらしい。
日本では使い古されて冗談のように聞こえる小っ恥ずかしいセリフも、この世界なら情熱的でユニークな恋の導火線だ。
うん、何言ってんのか自分でもワカンネ。
ロキシーは可愛くてエッチだからフラグ立てときたいな。
でも年齢差が結構あるよね。
将来的にどうなるかな……。
「それでは話を戻しますが、派手な色ほど危険というのは、まったくの迷信です」
「あ、迷信なんですか」
警戒色とか真面目に考えて損したぜ。
「はい。バビノス地方にスペルド族という、髪が緑の魔族がいたのですが、彼らが四〇〇年前の戦争で暴れまわったため、そういう風に言われるようになったんです。なので、髪の色は関係ありません」
「暴れまわったんですか」
「はい。たった十数年ほどの戦争で敵味方あらゆる種族に恐れられ、忌み嫌われるほどに暴れました。戦争が終わった後、迫害を受けて魔大陸を追われるぐらい危ない種族でした」
戦争が終わってから、味方に追い出されたってことか。
すげえな。
「そんなに嫌われてるんですか……」
「そんなにです」
「何をやったんですか?」
「さぁ、それはわたしにも……ただ、味方の魔族の集落を襲って女子供を皆殺しにしたりとか、戦場で敵を全滅させた後に、味方も全滅させたりだとか、そういう逸話は子供の頃に何度も聞きました。夜遅くまで起きていると、スペルド族がやってきて食べてしまうぞ、と」
しまっ○ゃうオジさんかよ。
「ミグルド族もスペルド族に近い種族なので、かつては風当たりも強かったと聞きます。そのうち、ご両親にも言われるかと思いますが……」
いいですか、とロキシーは前置きした。
「エメラルドグリーンの髪を持っていて、額に赤い宝石のようなのがついた種族には、絶対に近づかないでください。やむを得ず会話しなければならない場合も、決して相手を怒らせてはいけません」
エメラルドグリーンの髪、額に赤い宝石。
それがスペルド族の特徴らしい。
「怒らせるとどうなるんですか?」
「家族を皆殺しにされるかもしれません」
「エメラルドグリーンと、額に赤い宝石、ですね?」
「そうです。彼らは額のそれで魔力の流れを見ます。第三の眼ですね」
「スペルド族って、実は女しかいないとかあります?」
「え? ありませんよ? 普通に男もいます」
「額の宝石が何かすると青色になったりとかしますか?」
「え? いえ、なりませんよ? 少なくとも私の知る限りでは」
なんなんですか、とロキシーは首をかしげた。
俺も聞きたいことが聞けて満足だ。
「でも、それだけ目立つなら見分けるのは簡単ですね」
「はい。見かけたら何気なく用事があるフリをして逃げてください。いきなり駆け出すと刺激する恐れがありますので」
不良の顔を見て即座に逃げ出したら、なんとなく追いかけられて絡まれるようなものか。
経験がある。
「話をするといっても、相手を尊重して喋れば問題ないですよね?」
「あからさまに侮蔑したりしなければ問題ないと思います。けれども、人間族と魔族では常識が違う部分も多いので、どんな言葉がキッカケで爆発するかわかりません。遠まわしな皮肉とかもやめておいたほうがいいですね」
ふむ。
すごい癇癪持ちなのだろうか。
しかし、迫害を受けているという話だが、どちらかというと恐れられているという感じだ。
あいつらを怒らせるとヤバイから近くにいないでほしい、といった感じか。
怖い怖い。
殺されて二度も三度も人生をやり直せるとは思えない。
極力近づかないようにしよう。
スペルド族、ヤバイ。
俺はそう心に刻んだ。
★ ★ ★
一年ほど経った。
魔術の授業は順調だ。
最近は、全ての系統で上級の魔術まで扱えるようになった。
もちろん無詠唱でだ。
普段している練習に比べれば、上級魔術なんて鼻くそをほじるようなもんだった。
ていうか、上級魔術は範囲攻撃が多くて、いまいち使い勝手が悪いように感じる。
広範囲に雨を降らせるとか、何に使うんだ?
と、思ったら、日照りの続いた日にロキシーが麦畑に向かって雨を降らせて、村人から大絶賛を受けたらしい。
俺は家にいたので、パウロから聞いた話だが。
ロキシーは他にも、村の人に依頼を受けて、魔術を使って問題を解決しているらしい。
『土を起こしていたら大きな岩が埋まっていたんだ、助けてロキシえもん!!』
『まかせて、ドン○ラコー』
『なぁにその魔術?』
『これはね、岩の周囲の土を水魔術で湿らせて、土の魔術で泥にする混合魔術なんだ』
『うわっ、すごい、岩がどんどん地下に沈んでいく!!』
『うーふーふー』
そんな感じだ!!(多分)
「さすが先生。人助けにも余念がありませんね」
「人助け? 違いますよ。これは小銭稼ぎです」
「金を取っていたんですか?」
「当然です」
なんて守銭奴だ。
と、思ったが、村の人もそれは承知だそうだ。
村にはそういうことができる人がいなかったから、ロキシーは大絶賛されているらしい。
ギブアンドテイクってやつか。
俺の感覚が間違っているのだ。
困っている人を無償で助けるのは当然。
それは日本人の感覚だ。
普通は金を取る。
それが普通だ。常識だ。
まぁ、生前の俺は引きこもってたから困ってる人を助けるどころか、家族全員から困った奴として扱われていたがね。
ハッハッハー。
★ ★ ★
ある日、ふと聞いてみた。
「先生のことは先生ではなく師匠と呼んだほうがいいのではないでしょうか」
すると、ロキシーはあからさまに嫌な顔をした。
「いいえ、恐らくあなたはわたしを簡単に超えてしまうので、やめたほうがいいでしょう」
俺はロキシーを超えてしまう逸材らしい。
評価されると照れるな。
「自分より力の劣る者を師匠と呼ぶのは嫌でしょう?」
「別に嫌じゃないですよ」
「わたしが嫌なんです。自分より優秀な人に師匠と呼ばれるなんて、生き恥じゃないですか」
そういうものなんだろうか。
「先生は、先生の師匠より強くなっちゃったから、そう言ってるんですか?」
「いいですかルディ。師匠というのはですね、もう自分に教えられることは無いと言いながらも、事あるごとにアレコレと口出ししてくるような厄介な存在なんです」
「でも、ロキシーはそんなことしないでしょう?」
「するかもしれません」
「もしそうなったとしても、俺は敬いますよ?」
事あるごとに偉そうにドヤ顔で忠告してくるロキシー。
きっと俺はニコニコしてしながら敬ってしまうだろう。
「いいえ、わたしも弟子の才能に嫉妬したら何を口走るかわかりません」
「例えば?」
「薄汚い魔族の分際で、とか、田舎者のくせに、とか」
言われたのか。
可哀想に。
差別はよくないよな。
でも、上下関係なんてそんなもんだ。
「いいじゃないですか、威張ってれば」
「年齢が上というだけで威張ってはだめなんです!! 実力が伴わない師弟関係は不快なだけなんです!!」
断言された。
よほど師匠との仲が悪かったらしい。
ともあれ、そういうわけで、俺はロキシーを師匠とは呼ばないことにした。
けれど、心の中では師匠と呼び続けることに決めた。
この幼さの残る少女は、本を読むだけでは理解しえないことを、きちんと教えてくれるのだから。
第五話「剣術と魔術」
五歳になった。
誕生日にはささやかなパーティが開かれた。
この国には、誕生日を毎年祝うという習慣は無いらしい。だが、一定の年齢になると、家族が何かを贈るのが通例なのだそうだ。
一定の年令とは五歳、十歳、十五歳。
十五歳で成人であるから、非常にわかりやすい。
パウロはお祝いに剣を贈ってくれた。
二本だ。
五歳児が持つにしては長く重い実剣と、短めの木剣。
実剣はきちんと鍛造されたもので、刃もついていた。
子供が持つようなものではない。
「男は心の中に一本の剣を持っておかねばならん、大切な者を守るには──」
この薫陶は長かったのでニコニコしながら聞き流した。
パウロは機嫌良さそうに話していたが、最終的にはゼニスが「長い」と、窘めた。
パウロは苦笑し「ついては、必要な時以外はしまっておくように」と締めくくった。
恐らく、パウロが与えたかったのは、剣を持つことへの自覚と覚悟なのだろう。
ゼニスからは一冊の本をもらった。
「ルディは本が好きだから」
と、手渡されたのは、植物辞典だった。
思わず、「おぉ」と声を上げてしまった。
この世界では、本は高価なのだ。製紙技術はあっても印刷技術は無いらしく、全部手書きだし。
植物辞典は分厚く、挿絵でわかりやすく丁寧に説明してある。
一体どれだけの値段がするものやら。
「ありがとうございます。母様。こういうのが欲しかったんです」
そう言うと、ぎゅっと抱きしめられた。
ロキシーからはロッドをもらった。
三〇センチほどのスティックの先に小さな赤い石のついた、質素なものだ。
「先日制作したものです。ルディは最初から魔術を使っていたため失念していましたが、師匠は初級魔術が使える弟子に杖を作るものでした。申し訳ありません」
そういうものだったらしい。
師匠と呼ばれることを嫌がっていたロキシーだったが、慣習を無視するのは気が引けたらしい。
「はい、師匠。大切にします」
そう言うと、ロキシーは苦笑いをした。
★ ★ ★